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英語>日本語?

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前回の記事、100投稿目だったみたい! なんだか嬉しい。読んでくださってる皆さまに感謝。 さて、今回は日本留学について。 日本語を勉強し始めた理由。 日本へ行ってみたい・・・ 日本へ留学したいから。日本で仕事したいから。 という学生、多いです。 ですが残念なことに、私の配属先の卒業生、現受講生で、日本へ長期留学した学生は、まだ一人もいません。 前もこのブログに書いたことがあるけれども、日本留学への壁、相当厚いのです。 今日はブハラ出身で、日本の大学への留学経験があり、日本の会社の内定も貰っていて今ウズベキスタンに一時帰国している学生 A 君に、留学説明会をしてもらいました。 Why Japan? ・・・写真暗くてスミマセン。

よく聞かれる10の質問

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なぜか自分のブログを開けても、更新画面まで進めない日が続き。 久しぶりの更新です。 そうじゃなくてもサボりがちのブログなのになぁ。 ウズベキスタン生活も残り半年。 今までも一日一日が大切だったけれども、今まで以上に残された日を大事にしていきたいなぁと感じています。 さてさて。 北風小僧の寒太郎さん、やって来ました。 初雪。オフィスの窓から撮影 めくるめくマイナスの世界!! 西のウルゲンチでは、昨日-23℃までいったそうです。 ブハラは-10℃ぐらいかなぁ。 で、最近よく聞かれること。 「日本もこれぐらい寒くなるの??」 真夏だと、 「日本もこれぐらい暑くなるの??」 って聞かれます。 それに対する答えは、 「東京ではこんなに寒く(暑く)なりません。」 あくまで私の経験でしか答えられないのだけど、って思いながら。雪国出身の方だったら、これぐらいの寒さ、なんてことないのかもしれないし。 こういう質問をしてくる人は、 「日本じゃこんな寒さ(暑さ)ありえないだろ!」 って、なぜか誇らしげなことが多いです。 ウズベキスタン赴任前に渡された資料に、 気温 -20℃~40℃ って書かれていて、(どんな世界!!)って思っていたけれども、住んでみて思うのは、まぁ、大変だけど、楽じゃないけど、暮らせないことはないなってこと。 さすがに今年の夏に50℃っていう表示を見た時は、外に出たくないって思いましたが。 天気の話題以外で、よく聞かれる質問をついでに書いてみます。 1.結婚してるの? 2.何年生まれ? 3.給料いくら? 4.ウズベキスタンと日本、どっちのほうがいい? 5.何しにウズベキスタンに来たの? 6.どこでウズベク語勉強したの? 7.(一人暮らしで)さびしくないの? 8.日本語は難しくないの? 9.名前なに? 10.電話番号何番? これ、タクシーに乗ったり、バザールに買い物行ったりすると、聞かれることが多いです。 ウソも方便ってことで、答えてます。 これに全部答えられたら、ウズベク生活、問題なし・・・! かもしれないし、そうじゃないかも。

嬉しかったこと♪

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とっても嬉しいことがありました。 いつもね、学生たちに対して 「語彙も漢字も覚えさせなきゃ。宿題やらせなきゃ。勉強させなきゃ。」 ってついつい使役になってしまっていたのが・・・ なんと! 自分たちで自発的に勉強していたー!! 語学学習するうえで、当たり前のことなのかもしれないけれども。 でも、 「こうやって勉強しなさい」 って言ったわけじゃなかったのに工夫して勉強している姿を見て、胸が熱くなりました・・・。 何をしていたのかと言うと。 自作のフラッシュカード 学生たちが自分たちで作ったフラッシュカードを使って、問題の出し合いをしていたのです。 このカード、裏に漢字の読み方と訳語が書いてあります。 間違ってる漢字もあるけど・・・ 300枚ぐらい作ったらしいです。 がんばったねぇ・・・。 「すばらしいですね!写真撮らせてくださいね!!」 って言って、写真撮りました。 ソファーに皆で並んで腰掛けて問題を出し合っていて、その姿もすごく微笑ましかったです。 12月2日の日本語能力試験まで一週間を切ってて、正直合格圏内にいるとは言い難い学生もいるけれども、いやはや。 でも、試験は最後まで分からないですよね! ブハラの学生たちは、試験前日、夜8時ブハラ発の夜行列車に乗って、約11時間かけてタシケントに行きます。タシケントに朝7時に着いて、その日の午後2時から試験。 試験を受けるうえで恵まれた環境にいるとは言えない。 でも、だからこそ、皆の努力が報われるといいなぁって強く思います。 去年は夜行列車の中でトランプをしてはしゃいでいたらしいので、今年はこのフラッシュカードで勉強して、たっぷり寝てね。 試験まであと5日・・・。

Dancing through life!

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ブログネタ、たまる一方です。んんー、何から書こうかしら。 結婚式、行ってきました。 今までも何回か披露宴には足を運んでいたのだけど、今回は初めて家庭で行われる伝統的な儀式を見せてもらいました。 「チムルドゥク」って言うんだって。 まな、「チムルドゥク」 花嫁さんのお家で行われる儀式だそうで。 同僚のご実家におじゃまして来ました。 さて、この「チムルドゥク」どんな儀式かと言うと。 私のメモには、 「チムルドゥク」「はなよめ」「あたま」「ノン」「たまご」「いろのーみ」 って書いてあるのですが、意味が分からない・・・。後日同僚に確認してまた記事アップします。 とにかく面白かったです。色んな意味で。 そして、いつものごとく、踊り続ける方々。 私は踊りには参加しないけれども、踊っている人たちを見るのは好き。

休日の過ごし方

私の好きな休日の過ごし方。 ゆっくり起きて朝ごはん。午前中にちょっと部屋の掃除をして、散歩がてら図書館へ行き、本借りて来て、それからお昼ごはん。午後は、家でピアノやマンドラ弾いたり、読書したりして過ごす。 それが私のお気に入り ~ ♪ ・・・でした。日本にいた時。 もちろん、友達や家族と外出するのも好き!だけど、 2 日お休みがあったら、 1 日は家にいたいって思ってました。基本、出不精なんですねー。 で、翻って今のウズベキスタン生活ではどうかというと。 今は土日休みなので、 2 日とも予定がなかったら、ひどい時は 2 日とも家にひきこもってることもあります・・・。ウズベキスタン生活 1 年目は最低限の外出はしていたんだけど、 2 年目になってから、力が抜けて来たというか。 夏は「暑すぎて出かける気がしなくて ~ 」なんて言い訳してましたけど、これからは「寒すぎて ~ 」になりそうです。いかんいかん。 今日は引きこもり Day だったので、明日は出かけるつもり! で、家で何をやっているかといいますと。 家事(手洗い足洗いで洗濯し、箒で掃除。なんてエコ!)の他は、日本センターやボランティアルームから借りてきた本読んだり。 DVD 見たり。インターネットしたり、たっくさん寝たり。日本語の勉強は、ぼちぼちしてます。でも、外国語学習がかなりイマイチ。 そろそろ、本気で帰国後の進路について考えなきゃいけない時期に差し掛かってるので、これからは休日はそういう時間にあてないとだなぁ ~ 。 今日、ネットサーフィンしてたら見つけた言葉。 Life is a journey. Enjoy my moment, use it wisely and always be grateful. 肝に銘じマス!

第三回運動会

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今日はイベント2つ。 2つめは、 「ウズベキスタン・日本人材開発センター ブハラ分室 第3回運動会」 でした! 記念撮影! この運動会は、今年6月に任期を終えた青少年活動隊員が始めたものです。 彼の遺志・・・じゃない意志?を受け継ぎ、第三回開催と相成りました。 (Mさんー、開催しました!) ・・・が。 私は準備には、ほとんど手を出さず。 手を出さなかったらどうなるのかしら・・・とちょっと観察してみました。 結果。

ちぇごえよ~!

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ちぇごえよ~。てだなねよ~。ましっそよ~。 ウズベキスタンに来て覚えた韓国語です。 KOICA(Korea International Cooperation Agency 韓国版JICA)の子から教えてもらいました。 以前もこのブログに書きましたが、KOICAの子との会話はいつもウズベク語。 韓国人と日本人の共通言語がウズベク語ってのもおかしな感じがするけれども、私は普段職場では基本日本語しか使わないので、一番ウズベク語を使う相手は、KOICAの子だったりします。 KOICAの子のお家でよく韓国料理をご馳走になりますが、ほんと美味しいのです! そんな時ウズベク語で 「まざり えかん~(おしいですね~)」 って言ってももちろん伝わるんだけど、それよりもカタコトでも韓国語で言いたい。伝えたい。 で覚えた言葉が冒頭の言葉達です。 ましっそっそよ! 今日はブハラ大学にあるKOICAセンターのリニューアルオープン開会式にお邪魔して来ました! 開会セレモニー!真ん中がKOICAの子

僕こそミュージック!

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生きててよかったー!ウズベキスタンに来てよかったーー!!って心から思いました。 ありがたやありがたや。 音楽!ミュージック!Musika! ここウズベキスタンでこんなに質の高い、「本物の声」に触れられるなんて。 飢えてたんです。 音楽に。 ウズベキスタンにも音楽は溢れてるけれども、いかんせん鼓膜が破れそうな音量でガンガン流すので。音を純粋に楽しめないんです。 だから、渇望してたんです。 音を楽しむ音楽を。 煩くない、騒音じゃない、心地良い音楽を。 で、何があったかと言いますと。 ウズベキスタンと日本の外交関係樹立20周年とウズベキスタン日本人材開発センター(UJC)でJF日本語講座が開設されたことをお祝いして日本のアカペラ・コーラスグループINSPiによるコンサートがタシケントで開かれたのです! パンフレット、チラシ、チケット。会場の写真撮り忘れた~ あまりテレビを見ないので、失礼なことにINSPiの皆さんのことを知らなかったのですが、「ハモネプ」をきっかけに2001年にデビューされ、日立のCMソング「この木なんの木」を歌ってらっしゃるとか。 ほうほう。 私の配属先はUJCの分室・・・ということで、ブハラ分室のスタッフも、タシケントまでお手伝いに伺ってきました。

お久しぶりです

長いお休みをとりました。ロングロングバケーション。 お休みする前は、本当に休んでいいんだろうか・・・?って何度も自問自答していたけれども、結果的に休んで本当に良かった!!って今思ってます。 快く送り出してくれた同僚たちに感謝。ありがとう。 9月24日~10月3日まで任国外旅行でキルギスタンに、 10月5日~12日は両親達がウズベキスタンに来て、ウズベキスタン視察の旅をしておりました。 更新予告がたまっていますが、この旅行の模様もいつか書きたいなぁ・・・。 書く書く詐欺になっていますが。 今は10%を切る湿度の低さにやられたのか、絶賛カゼッピキ中です。 今日食べ物の買い出しに出かけるつもりだったけれども、約4ヶ月ぶりの雨が降っていたこともあり、引きこもってしまいました。あー、冷蔵庫空っぽ。お米とお菓子ししかありません。 週末はまたタシケント上京です。 早く風邪治さなきゃ。 旅行中にお世話になったすべての皆様、本当に本当にありがとうございました!! ビバ日本&中央アジア!!!

更新予告

生きてます。 今日、ろうそくデビューしました。 突然の停電。でも家の外を見てみると、電気がついてる! あ、うちだけじゃん!と思い大家さんに℡しました。 そしたら。 大家さんが電気代を払っていなかったことが判明。 電線切られちゃったみたい。ハサミか何かで。 大家さん、 「明日払おうと思ってたのよ!本当に!」 だって。 明日はいつ来るの~。 にしてもね、電線を切るっていうのは、なかなかの荒業です。 話には聞いていたし、KOICAの子の家で目撃もしていたけれども、自分の身に振りかかるとは。いやはや。 さて、私の明日もいつ来るのかって感じなのですが、 更新予告です。 1)ウズベキスタン日本語教育セミナー  ~盛り上がってるかい?~ 2)首都生活 ~スーパー巡り~ 3)結婚式 ~ Dancing through life!~ 4)トマトトマト! 5)シルクロード 音楽祭 ~太鼓のリズム~ んんんー、このうちいくつ書けるかな。少しずつ書いていきます。明日時間とれるかなー。

日本文化紹介♪

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ブログ3連投! 書ける時に書かないと。 先週、日本センターで生け花教室と茶道教室を開催しました。 タシケントから先輩隊員のAさんがブハラまで出張して授業してくれました! 本当にありがたやー。 Aさんは青少年活動隊員です。タシケントの日本センターでは、日本舞踊や和太鼓なども教えています。 日本文化の引き出しがいっぱいあって、本当にすごいなぁ。振り返って私は・・・。 引き出しすっかすかなので、他の方の助けとお知恵を借りてばかりです。 みなさま、本当にありがとうございます。(ぐんちゃん、茶道部よろしくねー m(_ _)m ) もちろん、本業の日本語教育の授業は私が努力して当たり前なのですが、自分一人では出来ない日本文化紹介の部分は、コーディネーターとして頑張る方向でいこうかと思ってます。。 さて、では生け花教室と茶道教室の様子を写真で紹介します♪

ふっかけ注意報

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前の記事でタクシーのふっかけについて書きましたが。 私、ブハラ好きですーって言ってますが、ブハラでイヤなこともあります。 それは、ふっかけ!ぼったくり! ブハラ人のふっかけっぷりには、もーホントうんざりしてます。 残念ながらタシケントよりも、ふっかけ方が悪質だと思う・・・。タクシー嫌い。観光地のふっかえけてくる人たちもイヤ! ってことで、ブハラのふっかけ注意報。 物価がどんどん上がっているので、あくまで今現在の情報ですが、 【タクシー】 ・ブハラ空港から観光の中心リャビハウズまで。・・・4000スム/タクシー1台 ・ブハラ鉄道駅(カガン)から観光の中心リャビハウズまで・・・10000スム/タクシー1台 ぐらいかなぁ。でも、これでも現地の人に比べたら、かなりふっかけられていると思います。鉄道駅からリャビハウズまでは、乗合ミニバス(マルシュルートカ)かバスがいいと思います。こちらは、一人1000スムぐらい。 【ふっかけ危険人物】 ・ミル・アラブ・メドレセの前でウロウロして、「おれの奥さんが作ったランチ食べないか?」って英語で言ってくるおじちゃん。ランチイマイチなうえ、いらないもの、売りつけられるみたいです。 ・リャビハウズ周辺のタクシー。法外な値段言ってきます。 ・「英語でガイドしてあげる。」って言ってくる少年少女。まともなガイドさんもいるのかもしれないけど、その可能性は低い。 ブハラに住んで1年。さんざんふっかけられてきて、慣れてきたかと思いきや。 私の不注意からまたふっかけられてしまいました・・・。 それはこちらでの出来事。 シナゴーグ。

永遠の平和と友好

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終戦記念日から遅れること 1 週間。 日本人抑留者の方が眠る日本人墓地へ、お墓参りに行って来ました。 日本人抑留者について、私もウズベキスタンに来るまで知らなかったのですが・・・ 第二次世界大戦後、ソ連の捕虜として約 2 万 5 千人の日本人がウズベキスタンに連行され、運河、炭鉱、発電所建設などの強制労働に従事させられ、そのうち 800 人以上の方が祖国の地を再び踏むことなく、ウズベキスタンで亡くなったと言われています。 私が住んでいるブハラから約 15 キロ離れた、鉄道駅があるカガンの街にも、日本人墓地があります。 タシケントのヤッカサライの日本人墓地にはお墓参りに行ったことがあったのですが、こちらは初めて訪れました。 もっと早く来るべきだったと思うのだけど。 カガンの墓地には、 159 名の方が眠っています。 日本へ帰れる日をどれだけ待ち望んでいたのだろうって思うと、言葉にならない。

だばい ぶほろ!

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タイトル、2連続「ぶほろ」 なんと! 在ブハラ唯一の日本人じゃなくなりました。 ブハラに新しく日本人が一人来てくれました! ぶほろぎゃ ふっしゅ けりぶしず!(ブハラへようこそ!) サッカーの柴村直弥選手です。 タシケントのパフタコールというチームから、ブハラのクラブチームに移籍されたそうです!うらー。 冬までこの町唯一の日本人だと思ってたから、嬉しいなぁ。 で、さっそくサッカーの試合を観に行って来ました♪

ぶほろに やふし くらまん

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ブハラに来て、丸一年経ちました。 2011年8月2日。40度超えの日。 タシケントから車で6時間(だったかな)かけてブハラへ来ました。 第一印象は、「思ってたより、緑あるなぁ。」 砂漠の町だと思ってたから、街路樹を見て、びっくり。 タシケントと比べれば、やっぱりブハラは茶色くて緑が恋しくなるけれども、この茶色っぽい街並みも、好きなのです。 あ、タイトルは「ブハラが好きです。」っていう意味です。 ブハラに着いた日早々大家さんとの家賃バトルが開始されたのも、今となっては懐かしい・・・。 この一年なんやかんやあっても、やってこれたのは、周りの方々に恵まれていたからです。 職場の同僚、学生、近所のおじちゃん、おばちゃん、先輩隊員、同期、KOICAの子達。 もちろん近くにいる人だけじゃなくて、日本にいる家族や友だちの支えがなかったら、ほんとにやってこれなかったよー。 感謝。 で、一周年記念日は何をしていたかと言うと・・・ 大好きな人たちと過ごしてました♡

タシケントで温泉♪

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砂漠旅行、とってもとっても楽しかったんだけど、砂・砂・砂・・・ もちろん水が満足に出るハズもなく。 頭がっびがびになりました。もともと髪の毛硬いほうなのに、かつらみたいに(いや、かつらよく知らないけれど)ごっわごわでした。 旅行の後、タシケントへ戻る予定だったのだけど、そこで名案が。 「温泉行こう-!」 って話になりました。 なんとタシケント郊外に韓国系の温泉があるのです。タシケント隊員は行ったことあるみたいなんだけど、田舎隊員の私とぐんちゃんは未経験。 で、同期のななちゃんとぐんちゃんと行くことにしました。 行き方は、まずタシケント市内のクイリックバザールのマルシュ(乗合タクシー)乗り場まで行きます。 456番 456番に乗りましょう! 456番が見当たらなかったら、「メルシャン!!」って言いましょう。 マルシュに揺られること、20~30分(だったかな・・・) たどり着きました!! まな、めるしゃん! これがメルシャン。 さて、いよいよ温泉へ・・・

砂漠でスイミング!

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ウズベキスタンは、二重内陸国です。 海に出るために、最低2回は国境を越えなくてはなりません。 ちなみに、二重内陸国は、 ウズベキスタンとリヒテンシュタインの2カ国だけとか。 そんなウズベキスタンで泳いできました! もちろんプールじゃありません!! 湖だよー なんとこのアイダルクル湖、キジルクムという砂漠の中にあるのです。 砂漠の中のオアシス! えっとサマルカンドから北西約240キロに位置するヌラタという町にあります。 同期のかずくんの企画に乗っかって参加してきました。 総勢13名。かずくん、ほんとありがとー。 まさかさ、ウズベキスタン来て泳ぐことになるなんて思ってなかったからバザールに水着買いに行っちゃいました。 55000スム(2000円弱)なり。 この旅行から2週間以上経過した現在、私は脱皮中。 肩の皮がピリピリ。こんなのいつ以来かなー。 宿泊先はこちら。 「ユルタ」っていうテント(ゲル?)に泊まったり。 夕日(ちょっとライオンキングっぽかった♪)や星(流れ星いっぱい)や朝日(人生2回目?)を見たり。 同期のぐんちゃんとあきこ♪ いたずら書きじゃないよ。 壁画見たり。この壁画、5000年前に書かれたんだって。 ウズベキスタンには隠れスポットが、まだまっだたくさんあるんだろーなーって感じられた旅行でした。 でも、現地の人ってあんまり旅行しないみたいなんだよね。 今回のアイダルクル湖もほぼ貸切状態だったし、ヌラタはブハラからもおそらく2,3時間で行けるのに学生も先生も行ったことないみたいだったし。 まぁ、暑すぎて旅行どころじゃないんだろうけれども。 次はどこに行こうかしら! みなさんもウズベキスタンにいらっしゃる機会があったら、砂漠のオアシスでぜひ泳いでみてくださいね♪ 追伸:Nちゃん、Gちゃん、さんざん更新遅くなって、こんな記事でごめんよー。 ブログは鮮度が大事ね・・・。

更新予告

同期と「ブログ更新する!」という約束をしたものの・・・ まだ書けませんー。あー。 とりあえず、更新予告だけでも 1) 砂漠で泳ぎましょう♪ 星はピカピカ、肌はボロボロ 2) タシケントで温泉?? 視察の結果・・・

初級クラス修了式

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「世界に一つだけの花」を歌ってます♪ 先週の中級クラスに引き続き・・・今日は初級クラスの修了式でした! おめでとうー! 配属先の日本語コースでは、初級クラス修了まで、288時間(約2年間)かけています。 ちなみに教科書は、『みんなの日本語Ⅰ、Ⅱ』。 途中リタイアしちゃう学生が多いなかで、よく残ってくれた!って思います。 にしても、いやー、終わって良かった。。 「宿題全部ださないと、修了証書渡しません!!」 って言ったら、修了式前々日に3ヶ月分まとめて出す子とかいて。 採点地獄でした。 宿題の取り立ては、こまめにしないと。 それと、最初が肝心ですね。宿題だす習慣をつけさせないと・・・って感じた1週間でした。 疲れすぎて、今日残業中にデスクでヨダレ垂らして寝てしまったり。 ホントは残業せず、一刻も早く家に帰りたかったのですが、来週1週間、ビザとアクレジテーション(滞在許可証 )更新のため、タシケント上京するのです。 なので、引き継ぎやらなんやら終わらせたくて。 今日は、修了式に加えて、アルバイトスタッフの面接もしてきました。 一緒に働く仲間が増えるのは心強いなぁー。よい方向に持って行きたいものです。 修了式後、学生が 「せんせ、古い街に行きましょう♪」 って誘ってくれたのですが、仕事終わらずいけず、申し訳なかったです。 でも、これでお別れではないので、まだチャンスはあると思いたいなー。 みんな、日本語の勉強はまだまだこれからですよー マルマルモリモリ♪ 「せんせ、踊りたいです!」って言われて、急遽マルマルモリモリ再び。 動画をアップしたかったのですが、出来ず残念。 ほんとに皆、じゅだはむちゅろいりー!

中級クラス修了式

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カフェのお姉さんにお願いして書いてもらいました♪ なにが「おめでとう」なのかと言うと・・・ 日本語中級クラスの修了式でした!おめでとー! 中級といっても、N2にはまだ届かないぐらいのレベルなので、初中級かなぁって感じもするのですが。 すごく伸びた学生も、そうでない学生もいます。 私自身、テキスト選びから始まるカリキュラム作成に苦戦したクラスでもありました。反省点もたくさん。四技能バランスよく出来ず、ブハラ観光案内も出来なかったのが残念ではありますが、漢字アレルギーを少しだけ和らげることが出来たかなぁって思います。 残念ながら、事情があって修了出来なかった学生もいて、胸が張り裂けそうに痛いです。でも私より本人のほうが、ずっとずっと辛いのだと思う。どんな事情なのかは書けないけれど、私も混乱してます。あと1年で彼女に何が出来るのだろうって。 さて。修了式では、「日本語で発表」をしてもらいました。 ほとんどの子は作文だったのだけど、一人歌った子もいて。なんと、 「原爆許すまじ」 どうしてその歌を選んだのか、そしてどんな内容の歌なのかを日本語で説明してくれました。 歌詞が難しくて他の学生は理解できていなかったようだけれど、彼の意識の高さに感服しました。 中級クラスは終わりですが、これからも日本語に興味、関心を持ち続けて欲しいなぁと切に思います。みんな、本当におめでとう! 修了証書を手に♪

The serenity prayer

週末に書くと言っておきながら、書けませんでした。ごめんなさい・・・! ウズベキスタン上陸1周年。 1年が早かったとは思えません。でも長かったなぁとも思わないの。 ちょうど一年先輩の隊員さん達が6月に帰国して、あぁ、私達にはまだ一年あるのね~って感じてます。 まだあのあっつ~い夏も、さっむーい冬も、もう一度越さないといけない。 でも、あの美味しい果物たちが待っているかと思うと、なんとか乗り越えられるかなぁ。 新しい学生たちとの出会いも楽しみにしたいなぁ。 なんて思っている今日この頃です。 最近は・・・

1年!

ウズベキスタン上陸、1周年! 今日かと思ってたら、昨日でした!! あらま。 生きてます!!! 今週末にブログ書きます! 22-1の皆様、本当にお疲れ様でした。

視察の旅 ~日本語教室編~

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今日一週間ぶりに職場へ行ったら、同僚二人が口を聞かなくなっておりました。どうやら喧嘩した模様。けんかはやめて~。早く仲直りして欲しいなぁ・・・。 さて。ウズベキスタン視察の旅、今回は日本語教室編! 今回訪問したフェルガナには、ブハラ同様、高等教育機関で日本語を勉強出来る場はありません。でも、一般向けの日本語学習の場が3つあります。そちらにおじゃましてきました。 ●1つ目。NORIKO学級。 地球の歩き方にも紹介されておりますが、1999年に大崎重勝氏によって、フェルガナ盆地のリシタンに設立された施設です。 教室の掲示物 おじゃました時も、日本人ボランティアの方が授業をなさっていて、小さな子どもたちが、私達を見て、 「コンニチハー」 って可愛らしく挨拶してくれました。 ●2つ目。青年センター。 こちらもリシタンにあります。陶器の町リシタンにふさわしい、タイル貼りがとても綺麗な施設でした。先輩隊員のAさんがこちらで活動されています。 タイル貼り見事! ここで私は、Aさんのコーディネーターっぷりに感動! ふらっと訪れた私達にも、「じゃ、この子のスピーチの練習見てあげてください。」「あ、ではあなたはこちらの子の英語のチェックを。」って役割分担をしてくださり、Aさん、さすが!と。 どうしても私は「今日の授業はここからここまで。これを導入して、練習A1とB1~3と・・・」って授業授業したくなっちゃうんです。なので、突然現れた方に「じゃぁお願いします。」って言うことは、出来ないなぁ・・・。 でも、その場で臨機応変に対応してるAさんと、にわか先生に応えてくれてる学生さんたちを見て、こういうのもいいなぁって思いました。 でも、私にあのような采配が出来るかっていうと・・・ムズカシイ。 ●3つ目。フェルガナ市内にある言語センターです。 ハートがいっぱい♡ 手作り感あふれる内装がとっても素敵でした!おじゃました時には、保健師のTさんがボランティアで授業をなさっていて、これまたTさんの流暢なウズベク語に感動。 ほんとにねー、めちゃくちゃウズベク語上手!! 教室の雰囲気もとっても良かったです。 みなさん、突然訪れたのに嫌な顔一つせず、受け入れてくださって、本当にありがとうございました。 私の教科書べ

めふもんけらでぃ3!

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めふもん=お客様です。 GW中に、日本から友人二人がウズベキスタンへ遊びに来てくれました♪ たくさんの荷物とともに。来てくれて、本当にありがとう! これで日本から来てくださった友人、知人は、計10人となりました。 「ウズベキスタンってどこにあるの?」っていう方が多いかと思うのですが、わざわざ来て下さって、本当に本当に嬉しいです。いつも満足にお相手も出来ず心苦しいのですが、私は幸せ者です。皆様に感謝。 さて今回は、「GWウズベキスタン視察の旅」ということで、友人二人に合わせて私も仕事をお休みし、サマルカンド→ブハラ→フェルガナ(リシタン、クヴァ、マルギラン)→タシケントを周遊してきました。 同期や先輩隊員のお家や活動先にもちょこっとおじゃましたり・・・でとっても良い刺激を受けました! お世話になった同期のななちゃん、ぐんちゃん、りゅうくん、うじ、先輩隊員のTさん、Kさん、OBのNさん、本当にありがとうございました!! 視察の旅の模様は、何回かに分けて書こうと思います。 で、まず今回書きたいのは・・・ コレ!!!!日本からの支援物資!!!!! 霧矢さん特集 TA・KA・RA・ZU・KA!!!!!! わーい。わーい。のんこさーん、本当にありがとう!霧矢さんの退団公演は行けなかったけれども、もう大満足です。 本とDVDで充電しようって思ったけれども、充電というか、感情移入しすぎて逆に見終わってぐったり。。いえ、幸せなんですけれどもね。激ヤセした霧矢さん見て、「こんなにも努力してる人がいるんだなぁ。」って苦しくなってしまいました。宝塚で18年間、一つのことにとことん打ち込んで、常に高みを目指して努力を続け、有終の美を飾る。すごいなぁ。 私の活動期間なんて、たった二年間。その二年間を、「とことん」頑張れてるのかっていったら・・・二年間で有終の美を飾るなんて甘っちょろいのかも・・・でもその二年をどう使うかだよねぇ・・・って考えさせられました。 ミュージカルで充電しながら、残り1年1ヶ月、精進します。 さて、今回の視察の旅で、マルギランというシルクの産地で、シルク工場にも行ったのですが、そこでこんなものを発見。 機織りの女の子 赤丸部分をご覧ください。好きな歌手の写真を

弁論大会にまつわるあれやこれ

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学習発表会参加者♪ ウズベキスタンで日本語を学ぶ学生にとって、日本語を実際に使える機会はなかなか多くありません。 そんな中で、大きな意味をもつイベントが2つあります。 一つは、JLPT、日本語能力試験です。 で、もう一つが、「日本語弁論大会」 ウズベキスタンで行われる日本語弁論大会は2種類あって、 18歳以上が参加出来る「日本語弁論大会」と 18歳以下の学生(大学生のぞく)が参加出来る「日本語学習発表会」があります。 今年のウズベキスタン日本語弁論大会では、ブハラ代表の学生が、ブハラ分室開所以来初、3位入賞!で、中央アジア弁論大会に出られることになりました。 ========================================================= なお、ウズベキスタン日本語弁論大会の様子にご興味がある方、こちらをご覧ください↓ タイトル 「年をとった学生」 (6位入賞したサマルカンドの学生さんです。サマルカンドの同期撮影。) ・・・余談ですが、ウズベキスタン大会もネット中継してみたいなぁなんて思ってます。 ======================================================== ブハラ代表の学生は、来る中央アジア弁論大会に向けて日々練習に励んでいます。この話はおいおいするとして。 今日はもうひとつの弁論大会、「日本語学習発表会」について。 先週、第五回ブハラ日本語学習発表会を開催しました。 1位の学生は、タシケントへ行けるよーって言ったら、なんと、予想を超える11名参加! 14~18歳の学生たちが、奮って参加してくれました。なんと頼もしい! 弁論のテーマは自由。制限時間5分。 いっぱい参加してくれて嬉しいなぁって思っていたのもつかの間・・・

街で見かけるあれやこれ

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最近うちの近所でこんなもの発見しました! わーーー!! ・・・この国には、マッ◯もないのに、なんてこと!あ、マッ◯も看板ならあります。 もちろん、言わずもがなマッ◯もサ◯ウェイも本物じゃありません。 どうも行動パターンがワンパターン化していて、新規開拓をしていないので、近々挑戦予定。 写真撮れなかったのだけど、Play Stationの看板も見かけました。 その看板の先には・・・ノン屋さん。(パン屋さん。) 突っ込みどころ満載の看板、しばしば見かけるのですが、それが当たり前になっちゃってるなぁって思いました。 最近観光シーズンに入ってきたこともあり、日本からのお客様にお会いする機会が増えたのですが、私が「当たり前」って思っている光景にお客様が驚いている姿を見て、「あら、私、なんだか慣れちゃったんだなぁ。」って。 いつの間に、って自分でも不思議。 でも、今日久しぶりにマルシュルートカ(乗合ミニバス)に乗った時、女性、子供、お年寄りにすぐに席を譲ったり、乗客同士でお金をリレー形式で車掌さんに払ったりする光景を見て、「あー、これはいいねぇ。日本の人に見せたい。」とも思いました。 日本とウズベキスタンで違う部分で、まだまだ私の中で「当たり前」になっていないこともあるんだよねぇ。 そんな中でいつまでたっても「当たり前」にならないこと。慣れないこと。 それは、割り込み。 もーねー、チケット買ったりする時に、並ぶっていう概念が基本的にないみたいで。いつまでたっても自分の順番にならないので、割り込みしてきそうな人がいたら、「じっと見つめる」という技(?)を身につけました。それでも割り込みされるけれど。 あと、見かけるたびに「おっ!」って思うのが、 残念ながら逆光・・・ 双子ちゃん! ほんとーに可愛らしくて、愛らしい。 名前はハサン、フサンに違いないです。 街でみかけるあれやこれ、これからも書いていきたいと思います♪ あ、それから今日良いことがありました! 同僚の日本行きが決定♪ 長くなるので畳みます↓

なんで日本語?

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今日の出来事。 日本語クラスを受講している大学生の女の子が 「もうこれから授業へ行けません。家族に反対されたから。」って。 同僚がくわしく話を聞いてみたところ、、 「6時に家に帰って来るのは遅すぎる、日本語の勉強なんてやめて、家事をしなさい。」 と両親に言われているそうです。 「両親にないしょで来るので、お昼休みとかに教えてもえらえませんか?」 とその子は言っていたみたいだけど・・・。 前もね、 「『日本語の勉強するより、家でケーキの焼き方一つでも覚えなさい!』って母から言われたので、日本語の勉強やめます。」 って言っていた女の子もいた。 最近、授業に来る学生がとても少ないです。2,3人という日もありました。 今まで、授業へ来る学生がこんなに少ないっていう経験をしたことがなくて、正直戸惑ってます。。 日本語学校はそうそう簡単に休む子はいなかったし、日本でボランティアで教えてた時も、学生がこんなに休むってことなかった。 原因を考えて悶々。 原因その1。行っても意味ない!って思われる授業をしてしまっているのかなぁ。 原因その2。先月はイベントの準備で日本語の授業もつぶれたりしていたから、休んでもいいやーっ気分に学生をさせちゃったのかなぁ。 今日成績をつけていて、あまりにも学生が減っていることにへこみ。 さらに、過去5年分の各クラスのテスト結果をざーっと見ていたら、学期途中でやめる学生が多いことにも気づいて。私、ここに来て9ヶ月経ってるのに、そのことに気づいてなかった、ってさらにショック受けました。 うわー。 私の配属先で行なっている日本語教育は、14歳以上なら誰でも受けられる有料の公開講座です。 大学の単位になるわけではないし、将来の仕事に直結するものでもありません。 それなのになんで日本語を勉強するのか。 おもしろくなきゃ、続かないよね。 自分では興味持ってもらえるようにって工夫してたつもりが、ほんとに「つもり」だったんだなぁーってがんがん。たとえばこれ。 JLPT、弁論大会、漢字相撲結果等の掲示 成績晒すのはよくないかなぁって思ったのですが、晒してます。(基本的には成績上位者のみ。) 一部の学生には効果があったみたいだけど、うーん。 ブログには弱音書かないって決めてたんだ!

めふもんけらでぃ2!

とっても嬉しい再会、出会いがありました。 東京で働いてた時の日本語学校の先生方と先生のお友達がウズベキスタンまで来てくださいました!!なんと6人! 厚かましくも荷物もたっくさんお願いしてしまったのに、快く持って来てくださって、本当にありがとうございました。一つ一つがとてもありがたくて、身にしみてほんとに胸がいっぱいになりました。 私が日本語学校デビューしたのは、2010年7月。 なので、日本語教師になって、まだ2年も経ってないのだけど、先生方は「その道20年!」の方々ばかり。 日本語教師になって良かったなぁって思うことの一つに、 「将来、こんなふうになりたいなぁ。」って思う方にたくさん出会えたこと、があります。 日本語学校の先生方は、本当にパワフルで、いきいきされてて。 写真撮影もノリノリで!(ポージング素敵でした!)圧倒されます。 人生を楽しんでらっしゃるなぁって思います。 わずかな時間ではありましたが、ブハラ観光をご一緒出来て、ウズベキスタンでの素敵な思い出がまた一つ増えました。 ガイドのつるさんもありがとうございました。 ブハラにもあんな素敵なガイドさんいたんだ!って初めて知って、嬉しくなりました。 先生方がブハラを出発なさる時間にお見送りに行こうと思っていたのに、目覚ましをかけ忘れるという失態を犯し、お見送り出来なかったのが心残りです。。 また日本でお目にかかれるのを心から楽しみにしています。 とっても嬉しかったのだけどね。 だけど。 先生方とお別れした次の日、置いてけぼりになったかのような、ぽっかりとした気分になりました。 家でいただいた物を見ていたら、(有り難いなぁ)って気持ちと同時に、(寂しいなぁ)って気持ちがむくむく。ホームシックというか、日本シックというか、なんというか。 先生方は私の母と同世代ぐらいの方が多いのもあって、余計、日本シック。 でも、だいじょうぶ!です。 この日本シックも一時的なものだと思うし、私が何のためにODA使って、税金使ってここにいるのか。 その意味を改めて考えて行動しないといけないなって思わされたし。 日本に帰ったら日本語教師としてどうなるのかってふとした瞬間に思うことも

ナウルーズ

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3月21日はナウルーズでした。 新年をお祝いする日。春の訪れを祝うお祭りだそうです。 お祭りに向けて、特別な食べ物を作ったり、綺麗な洋服を着たり、メフモン(お客さん)に行ったりするそうです。 で、これがナウルーズに食べる物。 スマラック。お隣さんにもらいました 女性が交代で、焦げないように鍋を24時間かき回し続けて作るそうです。 とっても手間がかかりますねー。 縁起物だし、残しちゃいけないと思ったのだけど・・・。 同僚に、「お口にあいませんか?」って日本語で聞かれて、 「嫌いではないんですけれども・・・。」って答えてしまいました。 でも、こういう習慣が続いているってすごくいいなぁって思います。 今日たまたま読んでいた本にもイースタのことが書かれていたのだけど、ヨーロッパにも春の到来を祝う祭りがたくさんありますねー。世界各地で春って昔から心待ちにされてたんだなぁって思いました。 日本だと春は、新入生、新入社員、新学期、新生活・・・!で始まりを感じさせる季節ですね。ここでは、春=新生活っていうわけではありませんが、なんだか気持ちも新たになる春の訪れを、私も楽しみにしていました。と言いつつも、冬も嫌いじゃないのです。ブハラの雪景色、幻想的でしたし。でも、この寒さとお別れ出来るのは嬉しい! で、21日はお祭りだから、祝日のはずだったんだけど、20日になって国の一番偉い方のお触れにより、 「21日やっぱり働いてね。で、22,23日はお休みね。でもその代わり、25は日曜日だけど働く日にするからね。」 ってことで急遽平日扱いに。でも、授業に学生は誰も来ませんでした。そりゃそーだー。にしても、こんな急な変化に対応出来るって、みんなすごいなぁって思います。 で、センターにインターネットを使いに来た学生が何やら素敵な洋服を来ていたので写真撮らせてもらいました。 学生と同僚 この衣装の名前も聞いたけれども、忘れてしまいました。髪の毛にも鈴のようなものがついているんですよー。 それからね、女性は手をこういうふうにします。 私の手。お隣さんがやってくれました。 で、裏がこう。 ちゅろいりー・・・? これ、自分でも手のひら見るたびに、びっくりします。 「ひーの」っていうらしいです。ヘナかな?ちょっ

終わったよー

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パフタ(綿花)柄のお皿とコップ。コップは、「女性の日」に学生から貰いました♪ うちで、ほっと一息。 久しぶりにぽけーっと出来る週末。 ほんとはバザール行って、食料品と日用品の買い出しする必要があるんだけど・・・。 今日は引きこもろうって決めました。 先週の土曜日、私の配属先日本ウズベキスタン人材開発センター(通称 UJC )ブハラ分室の創立 5 周年記念イベントがありました。 来場者は、予想をはるかに上回る 620~800 名!(←集計がまだ出来てないんです) イベントは、 12 時 ~15 時までの展示会(日本紹介や UJC の紹介)と 15 時 ~16 時半までのコンサートの二本立にしました。行き着くまでにいろーんなことがありました。 私の配属先のスタッフは、 ・総務兼日本語教師 ・日本語コースコーディネータ兼日本語教師 ・受付兼文化交流担当 ・お掃除のおばちゃん ・青年海外協力隊員(青少年活動、日本語教師) の計 6 名です。 この 6 人だけで、大掛かりなイベントを実現させるのは、無理ってもんです。 同僚達が喧嘩して、二日間口聞かなかったり、私もやること多すぎて、わーってなったり。 だけど、そんな中で、そんな中だからこそか、周りの方々に、いっぱい助けられました。 連日日付が変わるまで文句ひとつ言わず、積極的に手伝ってくれた受講生達、首都タシケントから出張して来て手伝ってくださった日本センター本室のスタッフの方々、大使館関係の方々、 JICA 関係者の方々、協力隊の先輩、後輩、同期隊員達。ほんとにほんとありがとうございました! イベントの様子は、いろんな方がブログで紹介してくださっていて嬉しい限りです。私も紹介しよう!と思ったら、当日写真を 1 枚も撮っていなかったことに気づきました。 写真を手に入れたら、ぼちぼち紹介していきます。 あ、写真1枚ありました。

1年

2011年3月11日。 この日から1年と3日経ちました。 忘れえない日、当たり前だと思っていたことが、ちっとも当たり前なんかじゃなかったって気づかされた日。 家族と一緒にいられて、おいしいご飯が食べられて、ガスも電気も水道も不自由なく使えて。バスも電車もほぼ時間通り運行されてる。 ちっとも当たり前なんかじゃなかった。 でも、時間が経つとその時思ったこと、感じたことがどんどん自分の中で薄れていきそうで怖くなる時もあります。 多くの方が、一年前、自分はどこで何をしていたか振り返られたのではないでしょうか。 このブログにも書きましたが、私はJICA地球ひろばで、日本語教師集合研修を受けていました。その時一緒に研修を受けていた20人は、今、世界各国に散らばっています。 このタイミングで税金使って国際協力。 いろんなこと考えて、何が正しいかなんて今もわからないけれども、この1年、ぶつかったりもがいたりしながら、過ごしてきたように思います。 いろんなこと、あるけれど、ほんとにほんとに周りの方に恵まれててありがたいです。ブハラという街も、私とっても好きです。 みなさん、ありがとうございます。 ブログご無沙汰していた間、また余裕なさ過ぎてばったばたでしたが、やっとこさ一段落ついたので、この1ヶ月のことなど、書いていきたいなぁと思います。 今、ここで、できること、やっていきます。

トリリンガル目指して・・・!

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「ナウズミシモ?」  「 ヤフシミシズ?」  「 カクディーラ?」「   お元気ですか?」 私の職場で毎日交わされている挨拶です。さて、それぞれ何語か分かりますか?? 答えは順に、タジク語、ウズベク語、ロシア語・・・言うまでもなく、日本語です。 ブハラには、タジク系ウズベク人が多いため、職場での会話はこれら 4 ヶ国語で行われています。 私の日本語教師の同僚もタジク系ウズベク人なのですが、先日、彼がウズベク語をタシケントから来たウズベク人と話しているのを見て、 「わ、ウズベク語話せたんだ!!」 って驚いてしまいました。 いや、もちろんウズベク語もオナティリ(母語)だから、不自由なく使えると思うんですけれど、普段タジク語を話すのばかり聞いていたのでびっくりしてしまったのです。 同僚たちと学生♪ その同僚が使えるのは、冒頭にも書いたウズベク語、タジク語、ロシア語、日本語の 4 ヶ国語。もう一人の日本語教師の同僚は、+英語の計 5 ヶ国語使えます。 学生もほとんどがトリリンガルだしねー。頭の中、どうなってるんだろうって不思議でしょうがないです。 で、同僚にそれぞれの言語をどのように身につけて、かつどれぐらい使えるのか聞いてみました。

私が日本語教師になったわけ ~その2~

前回だらだらと青年海外協力隊応募に至るまでを書きました。 前回(「わたしが日本語教師になったわけ ~その1~」)のあらすじ↓ 「大学入学前から途上国に係わる仕事に興味があったけれども、民間企業に就職し、ぼんやり、なんとなく OL をしていた。だけど、やっぱり海外とつながる仕事をしてみたいというこれまたぼんやりとした夢が捨てられなくて、会社を辞めて青年海外協力隊に青少年活動で応募した」 さて。ここまで書いてきて、まだ「日本語教師」が出てきていません・・・。 そうなのです、まだなのです。ちなみに、青少年活動で応募したのは、 2009 年の春です。 さてさて。 2009 年春の結果ですが、どういうわけか書類選考は通り、二次選考の面接まで進みました。 その面接での出来事。応募動機や今までの経験などを話している中で面接官がぽつりと、 「きみ、何もないよね。」 と。 何もない。確かに何もない!青少年活動隊員として活動出来るだけのバックグラウンドも経験も知識も専門性も何もない! 図星でした。

私が日本語教師になったわけ ~その1~

突然ですが、今回は「私が日本語教師になったわけ」について書きます。 『月刊日本語』で連載なさっている村上先生のブログ(→ むらログ )にて、 「みんなでブログを書こう!第 1 回(私が日本語教師になったわけ)」 という香港のぱんちょさんの企画(→ 詳しくはこちらをご覧ください )を知り、私も乗っかってみました! 私の場合、昔から日本語教師に憧れてたわけではないのです。 むしろ 3 年前まで、「この世には、日本語教師なる仕事が存在する」ということを意識したことすらありませんでした。 日本語教師という仕事に対して多い誤解に、「日本人なら誰でも日本語教えられるんじゃないの?」とか、「日本語教師って英語出来るんでしょ?」などというものがありますが、私もそんな風に思っていた・・・というより、そういうことを考えたことすらなかったのです。 そんな私がなぜ今ウズベキスタンで日本語教師をしているのか・・・。 一言で言うなら、 「人生、不思議。」 でも、「不思議デスネ!」じゃあ「日本語教師になったわけ」の説明にならないので、もうちょっと真面目に。 簡単に説明したい時は、「青年海外協力隊に参加したかったから、日本語教師になりました」って言ってます。 それも一面だけどね。でも、それだけじゃないのです。 それに、そもそもなぜ青年海外協力隊に参加しようと思ったのか。 「わたしが日本語教師になったわけ」を説明するには、そこから始めないといけないなぁと思います。

もの喰う

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『もの喰う人びと』 辺見庸氏の作品です。 読んだことがある方も多いと思いますが、本の内容を一言で言うと、著者が世界各地を旅し、その土地土地のものを食べ歩いたことの記録です。 何年も前に読んで衝撃を受けたのに、内容をほとんど忘れてしまっています。 うっすら覚えているのは、チェルノブイリ原発近くの村での食事、猫缶の話ぐらい。 日本に帰ったら再読するつもり。 ウズベキスタンに来てからの自分の食生活を振り返っていた時、ふと、この作品のことを思い出しました。 ウズベキスタン、食材は比較的豊富だと思います。 冬になったら、バザールの野菜が淋しくなるよって聞いていたのだけど、じゃがいも、玉ねぎ、人参はあるし、キャベツも白菜も大根のようなものも売っています。それに、日本では珍しい「ラブラギ」というボルシチに使われる赤カブも、とても美味しいです。 バザールの果物売りのお姉さん なんだけどね、ウズベク料理、調理法、味付けが単一に感じることが多いです。 基本油。プラス塩、香草。 せっかく食材は豊富なのになんだか物足りないなぁーって感じます。 だけど、私自身料理苦手なので、その食材を活かせる腕はなく。 普段一人の時食べるものも、とりあえずお腹を満たせるもの、になってしまうことが多いです。 なんだかなぁーって自分の食生活を振り返って思いました。 もうちょっと食生活を豊かにしたい。 実家にいた時は、母が料理上手なので、毎日毎日違うものを、それこそ30品目ぐらい食べていたし、一人暮らししていた時も、たいして料理してなかったけれども、日本では一人前の料理も外食産業もとても発達しているので、食べるものに困るってことはなかったなぁ。 食べるって生きるうえでの基本だけど、こだわろうって思えば際限ない。だけど、こだわらなきゃこだわらないで、とりあえず食欲だけ満たせば終わりにも出来る。 だけどねー、私は食い意地がはっているので、もっと美味しいものを美味しく食べたいのです。

漢字相撲

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日本語クラス受講生。お正月パーティーにて。 非漢字圏で漢字を教える難しさを日々痛感してます。 「カンジ」って聞くと、とってもイヤ~な顔をする学生が多いです。 「なんで日本語はこんなに漢字が多いんですか!漢字は日本語を難しくしていると思います!!」 って反発されることもあります。 中には、 「漢字大好きです!」 って目を輝かせている学生もいるにはいるのだけど、少数派です。 少しでも漢字に興味持ってもらえないかなぁって思い、同期との電話からヒントを得て(ぐんちゃん、うじーありがとう!)漢字相撲に挑戦してみようって思いました。 が、漢字相撲、小学生の時にやったっきりで、どんなものだったかうろ覚え。 とりあえず、横綱から前頭まで一覧表を作り、学生に四股名を決めてもらいました。 本名の意味からでも、音からでも、好きな漢字でも、なんでもいいよー、って言ったら こんな結果に。

ブハラ観光案内

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JICAボランティアは、派遣期間2年の間に計5回報告書を提出します。 この報告書は、情報を広く国民へ開示するため、原則として一般公開されます。 なので・・・私の報告書もどこかで読めるはずデス。 ウズベキスタンへ赴任してから6ヶ月経過したので、JICA事務所へ第2号報告書を提出しました。 第2号報告書では、「活動計画」を策定するのだけど、あれもやりたい!これもやりたい!って思っていると、結局どれも中途半端になりそうで、どこに軸を置くのかで悩みました。 ウズベキスタンのブハラで日本語を勉強しても、その後日本語を使える場所はとても限られています。 日本人観光客は来るのだけど、日本語ガイドになる人はほんの一握りだし、家庭に縛られがちな女性には、ガイドという仕事は相当難しいようです。 せっかく勉強した日本語、使う場所がないんじゃ勉強した意味が全くない! ・・・とは思いません。というのも、「外国語を学ぶ」ということ自体に意味があると思うので。 外国語学習の意義について、アーサー・ビナードさんの著書にも 「 日本語が母語の者は『日本語眼鏡』をかけて世界を見回している。だが、母語以外のもうひとつの言語を身につければ、 眼鏡のかけ替え が可能になる。」( 『亜米利加ニモ負ケズ』より。) と書かれています。 外国語を学ぶことが、物事を今までとは違った角度から眺めるきっかけになる。 私もその通りだなぁと思います。まぁ、ブハラの人はほとんどがトリリンガル(ウズベク、タジク、ロシア語)なんですが。 「外国語を学ぶこと自体に意味がある」とはいうものの。 せっかく日本語を勉強するので、実際に使える機会を少しでも増やしたいなぁと思っています。

変わったこと変わらないこと

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モスクに初詣に行って来ました! ウズベキスタンに来て半年。 変わったことも変わらないこともあります。 変わらないこと・・・それは、定期的にお腹を壊すこと。 大抵は油だと思うんですけどねー。たまに原因不明の時もあります。 今は元気ぴんぴんなのですが、年末の職場でのパーティーのケーキにあたったのか、パーティー以来ずっとお腹壊してました。 年越しの瞬間、トイレにこもってるのだけはイヤだ!と思い、それだけは死守しました。 年明け早々、ちゅろいりー(きれい)じゃない話でごめんなさい。 もー、ウズベク料理イヤだ!当分ウズベク料理食べたくない!って思って、年末年始の隣近所のお誘いにビクビクしてたのだけど、無事お正月が終わったようで、良かった・・・。 変わらないこと、その2。 筆不精。年賀状、今日書きました。 日本でもここ数年、年賀状が来てから元旦にお返事を書くというヒドイ習慣が出来ていたのですが、ここでもそう変わらず。 明日投函します。郵便事情がよろしくないので、果たして何通日本に着くか分からないけれども・・・皆さんのもとに無事届くといいなぁ。 手書きの手紙、久しぶりに書きましたが、一人ひとりの方の顔を思い浮かべながら書くのがなんだか楽しかったです。 が、それと同時に、あれだけお世話になっておきながら、ご無沙汰していて本当に申し訳ないなぁって気持ちになりました。みなさま、ごめんなさい。 おかげ様で元気にやっております。 ここまで書いてふと思いました。 冒頭に書いた「変わったこと」ってなんだろうって。 私、変わったかなぁ。 日本に対する想いは、多少変化しているとは思います。 どれだけ恵まれた環境にいたのか。(今も恵まれた環境にいるとは思うけれども、もっとね) ガスも電気も水道も当たり前のように使っていたけど、あって当たり前なんかじゃなかったとか。家族や友達の存在の大きさとか。日本料理のあっさりさっぱりさ加減とか。 気づいていなかったことに気づけたっていう変化はあるのかもしれない。 でもねー、ダイナミックに「私、変わった!」っいう変化は訪れていません。 変化を求めてウズベキスタンに来たのかっていうとそうでもないような気

やんぎいーる!

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あけましておめでとうございます。 ウズベキスタンは 2012 年まであと1時間弱ありますが・・・。 日本は 2012 年になりましたねー。 そして・・・前回のブログから1ヶ月以上あいてしまいました! 毎度のことながらスミマセン。 ブログご無沙汰していた言い訳ですが・・・ 家問題が落ち着いたら書こう!と思っていたら、すったもんだで長引いてしまいまして。 やっとこさ昨日決着が着きました。今の家にあと半年、住みます。 大家さん、 「あと半年たったら出てってね。」 だって。もっと高い値段で貸したいみたいです。 とりあえず、家なき子は免れたのと、年末年始が引越しで終わらないことにほっとしました。 でも、荷物半分以上ダンボールに詰めてしまったので、ちょっとやっかいです。 そんなこんなな年の瀬ですが、 2011 年は、日本にとっても、自分自身にとっても、大きな変化の年だったように思います。 2011 年の前半は日本で、後半はウズベキスタンで過ごして、様々な出会いも別れもありました。感情を大きく揺さぶられた出来事もたくさんありました。もうこの先の人生で二度と会わない人もいるかもしれない。 「いい年だったなー。」とも「最悪の一年だったなー。」とも、一言で片付けられるような年ではなかったけれども、いろんな人に支えられて今があることにすごく感謝してます。ありがとうございます。 2012 年がみなさんにとって、すてきな年になりますように。 さて話は変わって。 ウズベキスタンの年の瀬には、「コルボボ」が出現します。「コルボボ」は直訳すると、「雪おじいさん」 コルボボではないけど、ウズのボボ(おじいさん)達 この「雪おじいさん」は、サンタクロースにとってもよく似ています。クリスマスツリーのそばに佇んでいたりします。 この国ではどういうわけか、「雪おじいさん」が新年をお祝いしてくれるようです。今日もバザール行ったら、サンタ・・・じゃない、雪おじいさんのコスプレをした若者をたくさん見かけました。 今日、大晦日だよねぇって思いながら雪おじいちゃん達を見てました。 大家さんに 「日本のコルボボは何という名前か?」 と聞かれたので、 「サンタクロースです。