永遠の平和と友好

終戦記念日から遅れること1週間。

日本人抑留者の方が眠る日本人墓地へ、お墓参りに行って来ました。

日本人抑留者について、私もウズベキスタンに来るまで知らなかったのですが・・・

第二次世界大戦後、ソ連の捕虜として約25千人の日本人がウズベキスタンに連行され、運河、炭鉱、発電所建設などの強制労働に従事させられ、そのうち800人以上の方が祖国の地を再び踏むことなく、ウズベキスタンで亡くなったと言われています。

私が住んでいるブハラから約15キロ離れた、鉄道駅があるカガンの街にも、日本人墓地があります。

タシケントのヤッカサライの日本人墓地にはお墓参りに行ったことがあったのですが、こちらは初めて訪れました。

もっと早く来るべきだったと思うのだけど。

カガンの墓地には、159名の方が眠っています。

日本へ帰れる日をどれだけ待ち望んでいたのだろうって思うと、言葉にならない。


うっそうとした緑に覆われていたヤッカサライの墓地に比べて、強烈な太陽にさらされ、日本から送られたという桜の木の形跡もないカガンの墓地は、殺伐としていました。

159人の方が眠っています

殺伐としてはいるものの、墓守のおばちゃんもいたし、管理されて掃除はされてる印象も受けました。

墓守のおばちゃんに聞いたら、時々日本人が訪れるそうです。
815日にもウズベク語が出来る日本人女性が3人訪れたそう。元隊員の方かな。

より多くの日本人に訪れてもらえたらと思います。

ということで、行き方なのですが、地球の歩き方にも出ているように、カガンの鉄道駅前で
「ピェールヴォエ・クラードビシェ(第一墓地)」と言えば、地元の人なら分かるようです。

地球の歩き方によると歩いて20分とのことだったのだけど、気温は間違いなく40度を超えていたので、タクシーで行く事にしました。そしたら、
「片道6000スムで行ってやるぜ」
だって。往復で12000スム!こちらの物価から考えたらあり得ない。トマト20キロ買えるし。
お墓参りに行きたいだけなのに、なんでこんなに吹っかけられるんだろうって悲しかったのですが、交渉するのもうんざりしてしまって、12000スムで行ってしまいました。

お墓に向かう途中も、
「日本人?結婚してるの?何歳?給料は?」というお決まりうんざりな質問に加えて、
「なんで行くの?おじいちゃんがそこで亡くなったの?」
って聞かれましたが、
「・・・日本人だから行きたいの」
って答えたら、納得したようでした。

タクシーのおじちゃん、私がお祈りしている間は静かに待っていてくれたし。ここで亡くなった日本人がこれだけいたっていうことも、おじちゃんも知らなかったみたいだから、おじちゃんと一緒にお参り出来てよかったのかもしれません。

にしてもふっかけすぎだけど。でも、ふっかけられて腹を立てられるのも、平和だからこそなのかもしれない。

鎮魂碑には、「永遠の平和と友好を誓う」と刻まれています。
永遠なんてないのだろう。でも、そう願いたい。
写真うまく撮れませんでしたが・・・鎮魂の碑

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