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私が日本語教師になったわけ ~その2~

前回だらだらと青年海外協力隊応募に至るまでを書きました。 前回(「わたしが日本語教師になったわけ ~その1~」)のあらすじ↓ 「大学入学前から途上国に係わる仕事に興味があったけれども、民間企業に就職し、ぼんやり、なんとなく OL をしていた。だけど、やっぱり海外とつながる仕事をしてみたいというこれまたぼんやりとした夢が捨てられなくて、会社を辞めて青年海外協力隊に青少年活動で応募した」 さて。ここまで書いてきて、まだ「日本語教師」が出てきていません・・・。 そうなのです、まだなのです。ちなみに、青少年活動で応募したのは、 2009 年の春です。 さてさて。 2009 年春の結果ですが、どういうわけか書類選考は通り、二次選考の面接まで進みました。 その面接での出来事。応募動機や今までの経験などを話している中で面接官がぽつりと、 「きみ、何もないよね。」 と。 何もない。確かに何もない!青少年活動隊員として活動出来るだけのバックグラウンドも経験も知識も専門性も何もない! 図星でした。

私が日本語教師になったわけ ~その1~

突然ですが、今回は「私が日本語教師になったわけ」について書きます。 『月刊日本語』で連載なさっている村上先生のブログ(→ むらログ )にて、 「みんなでブログを書こう!第 1 回(私が日本語教師になったわけ)」 という香港のぱんちょさんの企画(→ 詳しくはこちらをご覧ください )を知り、私も乗っかってみました! 私の場合、昔から日本語教師に憧れてたわけではないのです。 むしろ 3 年前まで、「この世には、日本語教師なる仕事が存在する」ということを意識したことすらありませんでした。 日本語教師という仕事に対して多い誤解に、「日本人なら誰でも日本語教えられるんじゃないの?」とか、「日本語教師って英語出来るんでしょ?」などというものがありますが、私もそんな風に思っていた・・・というより、そういうことを考えたことすらなかったのです。 そんな私がなぜ今ウズベキスタンで日本語教師をしているのか・・・。 一言で言うなら、 「人生、不思議。」 でも、「不思議デスネ!」じゃあ「日本語教師になったわけ」の説明にならないので、もうちょっと真面目に。 簡単に説明したい時は、「青年海外協力隊に参加したかったから、日本語教師になりました」って言ってます。 それも一面だけどね。でも、それだけじゃないのです。 それに、そもそもなぜ青年海外協力隊に参加しようと思ったのか。 「わたしが日本語教師になったわけ」を説明するには、そこから始めないといけないなぁと思います。

もの喰う

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『もの喰う人びと』 辺見庸氏の作品です。 読んだことがある方も多いと思いますが、本の内容を一言で言うと、著者が世界各地を旅し、その土地土地のものを食べ歩いたことの記録です。 何年も前に読んで衝撃を受けたのに、内容をほとんど忘れてしまっています。 うっすら覚えているのは、チェルノブイリ原発近くの村での食事、猫缶の話ぐらい。 日本に帰ったら再読するつもり。 ウズベキスタンに来てからの自分の食生活を振り返っていた時、ふと、この作品のことを思い出しました。 ウズベキスタン、食材は比較的豊富だと思います。 冬になったら、バザールの野菜が淋しくなるよって聞いていたのだけど、じゃがいも、玉ねぎ、人参はあるし、キャベツも白菜も大根のようなものも売っています。それに、日本では珍しい「ラブラギ」というボルシチに使われる赤カブも、とても美味しいです。 バザールの果物売りのお姉さん なんだけどね、ウズベク料理、調理法、味付けが単一に感じることが多いです。 基本油。プラス塩、香草。 せっかく食材は豊富なのになんだか物足りないなぁーって感じます。 だけど、私自身料理苦手なので、その食材を活かせる腕はなく。 普段一人の時食べるものも、とりあえずお腹を満たせるもの、になってしまうことが多いです。 なんだかなぁーって自分の食生活を振り返って思いました。 もうちょっと食生活を豊かにしたい。 実家にいた時は、母が料理上手なので、毎日毎日違うものを、それこそ30品目ぐらい食べていたし、一人暮らししていた時も、たいして料理してなかったけれども、日本では一人前の料理も外食産業もとても発達しているので、食べるものに困るってことはなかったなぁ。 食べるって生きるうえでの基本だけど、こだわろうって思えば際限ない。だけど、こだわらなきゃこだわらないで、とりあえず食欲だけ満たせば終わりにも出来る。 だけどねー、私は食い意地がはっているので、もっと美味しいものを美味しく食べたいのです。

漢字相撲

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日本語クラス受講生。お正月パーティーにて。 非漢字圏で漢字を教える難しさを日々痛感してます。 「カンジ」って聞くと、とってもイヤ~な顔をする学生が多いです。 「なんで日本語はこんなに漢字が多いんですか!漢字は日本語を難しくしていると思います!!」 って反発されることもあります。 中には、 「漢字大好きです!」 って目を輝かせている学生もいるにはいるのだけど、少数派です。 少しでも漢字に興味持ってもらえないかなぁって思い、同期との電話からヒントを得て(ぐんちゃん、うじーありがとう!)漢字相撲に挑戦してみようって思いました。 が、漢字相撲、小学生の時にやったっきりで、どんなものだったかうろ覚え。 とりあえず、横綱から前頭まで一覧表を作り、学生に四股名を決めてもらいました。 本名の意味からでも、音からでも、好きな漢字でも、なんでもいいよー、って言ったら こんな結果に。

ブハラ観光案内

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JICAボランティアは、派遣期間2年の間に計5回報告書を提出します。 この報告書は、情報を広く国民へ開示するため、原則として一般公開されます。 なので・・・私の報告書もどこかで読めるはずデス。 ウズベキスタンへ赴任してから6ヶ月経過したので、JICA事務所へ第2号報告書を提出しました。 第2号報告書では、「活動計画」を策定するのだけど、あれもやりたい!これもやりたい!って思っていると、結局どれも中途半端になりそうで、どこに軸を置くのかで悩みました。 ウズベキスタンのブハラで日本語を勉強しても、その後日本語を使える場所はとても限られています。 日本人観光客は来るのだけど、日本語ガイドになる人はほんの一握りだし、家庭に縛られがちな女性には、ガイドという仕事は相当難しいようです。 せっかく勉強した日本語、使う場所がないんじゃ勉強した意味が全くない! ・・・とは思いません。というのも、「外国語を学ぶ」ということ自体に意味があると思うので。 外国語学習の意義について、アーサー・ビナードさんの著書にも 「 日本語が母語の者は『日本語眼鏡』をかけて世界を見回している。だが、母語以外のもうひとつの言語を身につければ、 眼鏡のかけ替え が可能になる。」( 『亜米利加ニモ負ケズ』より。) と書かれています。 外国語を学ぶことが、物事を今までとは違った角度から眺めるきっかけになる。 私もその通りだなぁと思います。まぁ、ブハラの人はほとんどがトリリンガル(ウズベク、タジク、ロシア語)なんですが。 「外国語を学ぶこと自体に意味がある」とはいうものの。 せっかく日本語を勉強するので、実際に使える機会を少しでも増やしたいなぁと思っています。

変わったこと変わらないこと

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モスクに初詣に行って来ました! ウズベキスタンに来て半年。 変わったことも変わらないこともあります。 変わらないこと・・・それは、定期的にお腹を壊すこと。 大抵は油だと思うんですけどねー。たまに原因不明の時もあります。 今は元気ぴんぴんなのですが、年末の職場でのパーティーのケーキにあたったのか、パーティー以来ずっとお腹壊してました。 年越しの瞬間、トイレにこもってるのだけはイヤだ!と思い、それだけは死守しました。 年明け早々、ちゅろいりー(きれい)じゃない話でごめんなさい。 もー、ウズベク料理イヤだ!当分ウズベク料理食べたくない!って思って、年末年始の隣近所のお誘いにビクビクしてたのだけど、無事お正月が終わったようで、良かった・・・。 変わらないこと、その2。 筆不精。年賀状、今日書きました。 日本でもここ数年、年賀状が来てから元旦にお返事を書くというヒドイ習慣が出来ていたのですが、ここでもそう変わらず。 明日投函します。郵便事情がよろしくないので、果たして何通日本に着くか分からないけれども・・・皆さんのもとに無事届くといいなぁ。 手書きの手紙、久しぶりに書きましたが、一人ひとりの方の顔を思い浮かべながら書くのがなんだか楽しかったです。 が、それと同時に、あれだけお世話になっておきながら、ご無沙汰していて本当に申し訳ないなぁって気持ちになりました。みなさま、ごめんなさい。 おかげ様で元気にやっております。 ここまで書いてふと思いました。 冒頭に書いた「変わったこと」ってなんだろうって。 私、変わったかなぁ。 日本に対する想いは、多少変化しているとは思います。 どれだけ恵まれた環境にいたのか。(今も恵まれた環境にいるとは思うけれども、もっとね) ガスも電気も水道も当たり前のように使っていたけど、あって当たり前なんかじゃなかったとか。家族や友達の存在の大きさとか。日本料理のあっさりさっぱりさ加減とか。 気づいていなかったことに気づけたっていう変化はあるのかもしれない。 でもねー、ダイナミックに「私、変わった!」っいう変化は訪れていません。 変化を求めてウズベキスタンに来たのかっていうとそうでもないような気

やんぎいーる!

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あけましておめでとうございます。 ウズベキスタンは 2012 年まであと1時間弱ありますが・・・。 日本は 2012 年になりましたねー。 そして・・・前回のブログから1ヶ月以上あいてしまいました! 毎度のことながらスミマセン。 ブログご無沙汰していた言い訳ですが・・・ 家問題が落ち着いたら書こう!と思っていたら、すったもんだで長引いてしまいまして。 やっとこさ昨日決着が着きました。今の家にあと半年、住みます。 大家さん、 「あと半年たったら出てってね。」 だって。もっと高い値段で貸したいみたいです。 とりあえず、家なき子は免れたのと、年末年始が引越しで終わらないことにほっとしました。 でも、荷物半分以上ダンボールに詰めてしまったので、ちょっとやっかいです。 そんなこんなな年の瀬ですが、 2011 年は、日本にとっても、自分自身にとっても、大きな変化の年だったように思います。 2011 年の前半は日本で、後半はウズベキスタンで過ごして、様々な出会いも別れもありました。感情を大きく揺さぶられた出来事もたくさんありました。もうこの先の人生で二度と会わない人もいるかもしれない。 「いい年だったなー。」とも「最悪の一年だったなー。」とも、一言で片付けられるような年ではなかったけれども、いろんな人に支えられて今があることにすごく感謝してます。ありがとうございます。 2012 年がみなさんにとって、すてきな年になりますように。 さて話は変わって。 ウズベキスタンの年の瀬には、「コルボボ」が出現します。「コルボボ」は直訳すると、「雪おじいさん」 コルボボではないけど、ウズのボボ(おじいさん)達 この「雪おじいさん」は、サンタクロースにとってもよく似ています。クリスマスツリーのそばに佇んでいたりします。 この国ではどういうわけか、「雪おじいさん」が新年をお祝いしてくれるようです。今日もバザール行ったら、サンタ・・・じゃない、雪おじいさんのコスプレをした若者をたくさん見かけました。 今日、大晦日だよねぇって思いながら雪おじいちゃん達を見てました。 大家さんに 「日本のコルボボは何という名前か?」 と聞かれたので、 「サンタクロースです。