The serenity prayer

週末に書くと言っておきながら、書けませんでした。ごめんなさい・・・!


ウズベキスタン上陸1周年。
1年が早かったとは思えません。でも長かったなぁとも思わないの。
ちょうど一年先輩の隊員さん達が6月に帰国して、あぁ、私達にはまだ一年あるのね~って感じてます。


まだあのあっつ~い夏も、さっむーい冬も、もう一度越さないといけない。
でも、あの美味しい果物たちが待っているかと思うと、なんとか乗り越えられるかなぁ。
新しい学生たちとの出会いも楽しみにしたいなぁ。
なんて思っている今日この頃です。


最近は・・・
以下長いです。


活動でいろんな壁にぶちあたり。
ま、でもピンチはチャンスだしね、失敗してもしょうがないって少しずつ開き直れるようになって・・・きてもいないけれど、そうしないと。


1年目にして、新しいことに挑戦させてもらえる環境にあるのは有り難いことだ。
新しいことって、飛び込む前が一番こわい。でも、初めてのことが怖いのはしょうがないなぁ。


今週は、初めてこども日本語クラスを担当したのですが・・・こども、可愛い!!
授業始まる前から殴り合いの喧嘩してて、ありゃまぁって思ったけれど、反応の素直さが(ウズベキスタンの学生は大人でも往々にして素直だけど)たまらないですねー。


が、集中力が持たないので、なんとか子ども達を飽きさせずに、楽しんでもらえるよう続けていきたいなぁって思います。


それからね。
「変えたほうがいいこと」「変わらなくてもいいこと」「変えられないこと」
この3つ、中々折り合いがつかなくて。


ここでの生活に慣れてくるにしたがって、
「これはここのやり方なんだから、変えなくたっていいじゃん。」
って思うこともあるのです。
が、それが果たして本当に「変わらなくてもいいこと」なのか。
それとも「変えられないこと」なのか。


青年海外協力隊のキャッチコピーが、
「世界も自分も、変えるシゴト」
なんですよね。


それなのに、私は
「果たして変えられるのか、そもそも変える必要があるのか。」
ってことで悶々としてます。


高校時代に習ったお祈りで、ことあるごとに思い出すものがあります。


それがこれ↓


主よ、
変えられないことを静かに受容する慎みを、
変えるべきことを変えていく勇気を、
そして、それら二つを見分ける知恵を
われらに与えたまえ。


God,
grant me the serenity to accept the things I cannot change,
Courage to change the things I can,
And wisdon to know the difference.
-Reinhold Niebuhr

日本語でしか知らなかったのだけど、ネットで調べたら英語がありました。
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー氏によって書かれた「ニーバーの祈り」
というそうです。


変えるべきこと、変えられないこと、それらを見分ける知恵・・・

日本にいる時は、変わらない(ように思える)日常に焦りを感じていたりもしました。
わたし、このままでいいのかー!!って。


でも、ウズベキスタンに来たからと言って、ドラマチックに自分が変わったとは思いません。


日本にいようが、どこにいようが、自分が変わろうとすれば変わるだろうし、別に・・・って思えば、以前と大差ない私のまま。


でもね、変えられるとこは変えていきたい。
それをあと1年で出来るところまでやっていきたい。


なんだか堂々巡りのことをダラダラと書いてしまいましたが、1年目の正直な気持ちです。


さて、1年後はどうなってるのかな・・・?

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