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8月, 2012の投稿を表示しています

日本文化紹介♪

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ブログ3連投! 書ける時に書かないと。 先週、日本センターで生け花教室と茶道教室を開催しました。 タシケントから先輩隊員のAさんがブハラまで出張して授業してくれました! 本当にありがたやー。 Aさんは青少年活動隊員です。タシケントの日本センターでは、日本舞踊や和太鼓なども教えています。 日本文化の引き出しがいっぱいあって、本当にすごいなぁ。振り返って私は・・・。 引き出しすっかすかなので、他の方の助けとお知恵を借りてばかりです。 みなさま、本当にありがとうございます。(ぐんちゃん、茶道部よろしくねー m(_ _)m ) もちろん、本業の日本語教育の授業は私が努力して当たり前なのですが、自分一人では出来ない日本文化紹介の部分は、コーディネーターとして頑張る方向でいこうかと思ってます。。 さて、では生け花教室と茶道教室の様子を写真で紹介します♪

ふっかけ注意報

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前の記事でタクシーのふっかけについて書きましたが。 私、ブハラ好きですーって言ってますが、ブハラでイヤなこともあります。 それは、ふっかけ!ぼったくり! ブハラ人のふっかけっぷりには、もーホントうんざりしてます。 残念ながらタシケントよりも、ふっかけ方が悪質だと思う・・・。タクシー嫌い。観光地のふっかえけてくる人たちもイヤ! ってことで、ブハラのふっかけ注意報。 物価がどんどん上がっているので、あくまで今現在の情報ですが、 【タクシー】 ・ブハラ空港から観光の中心リャビハウズまで。・・・4000スム/タクシー1台 ・ブハラ鉄道駅(カガン)から観光の中心リャビハウズまで・・・10000スム/タクシー1台 ぐらいかなぁ。でも、これでも現地の人に比べたら、かなりふっかけられていると思います。鉄道駅からリャビハウズまでは、乗合ミニバス(マルシュルートカ)かバスがいいと思います。こちらは、一人1000スムぐらい。 【ふっかけ危険人物】 ・ミル・アラブ・メドレセの前でウロウロして、「おれの奥さんが作ったランチ食べないか?」って英語で言ってくるおじちゃん。ランチイマイチなうえ、いらないもの、売りつけられるみたいです。 ・リャビハウズ周辺のタクシー。法外な値段言ってきます。 ・「英語でガイドしてあげる。」って言ってくる少年少女。まともなガイドさんもいるのかもしれないけど、その可能性は低い。 ブハラに住んで1年。さんざんふっかけられてきて、慣れてきたかと思いきや。 私の不注意からまたふっかけられてしまいました・・・。 それはこちらでの出来事。 シナゴーグ。

永遠の平和と友好

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終戦記念日から遅れること 1 週間。 日本人抑留者の方が眠る日本人墓地へ、お墓参りに行って来ました。 日本人抑留者について、私もウズベキスタンに来るまで知らなかったのですが・・・ 第二次世界大戦後、ソ連の捕虜として約 2 万 5 千人の日本人がウズベキスタンに連行され、運河、炭鉱、発電所建設などの強制労働に従事させられ、そのうち 800 人以上の方が祖国の地を再び踏むことなく、ウズベキスタンで亡くなったと言われています。 私が住んでいるブハラから約 15 キロ離れた、鉄道駅があるカガンの街にも、日本人墓地があります。 タシケントのヤッカサライの日本人墓地にはお墓参りに行ったことがあったのですが、こちらは初めて訪れました。 もっと早く来るべきだったと思うのだけど。 カガンの墓地には、 159 名の方が眠っています。 日本へ帰れる日をどれだけ待ち望んでいたのだろうって思うと、言葉にならない。

だばい ぶほろ!

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タイトル、2連続「ぶほろ」 なんと! 在ブハラ唯一の日本人じゃなくなりました。 ブハラに新しく日本人が一人来てくれました! ぶほろぎゃ ふっしゅ けりぶしず!(ブハラへようこそ!) サッカーの柴村直弥選手です。 タシケントのパフタコールというチームから、ブハラのクラブチームに移籍されたそうです!うらー。 冬までこの町唯一の日本人だと思ってたから、嬉しいなぁ。 で、さっそくサッカーの試合を観に行って来ました♪

ぶほろに やふし くらまん

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ブハラに来て、丸一年経ちました。 2011年8月2日。40度超えの日。 タシケントから車で6時間(だったかな)かけてブハラへ来ました。 第一印象は、「思ってたより、緑あるなぁ。」 砂漠の町だと思ってたから、街路樹を見て、びっくり。 タシケントと比べれば、やっぱりブハラは茶色くて緑が恋しくなるけれども、この茶色っぽい街並みも、好きなのです。 あ、タイトルは「ブハラが好きです。」っていう意味です。 ブハラに着いた日早々大家さんとの家賃バトルが開始されたのも、今となっては懐かしい・・・。 この一年なんやかんやあっても、やってこれたのは、周りの方々に恵まれていたからです。 職場の同僚、学生、近所のおじちゃん、おばちゃん、先輩隊員、同期、KOICAの子達。 もちろん近くにいる人だけじゃなくて、日本にいる家族や友だちの支えがなかったら、ほんとにやってこれなかったよー。 感謝。 で、一周年記念日は何をしていたかと言うと・・・ 大好きな人たちと過ごしてました♡