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3月, 2013の投稿を表示しています

いかいか♪

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タシケントにて、第 21 回ウズベキスタン日本語弁論大会が開催されました。 最新の調査によると、ウズベキスタンにおける日本語学習者数は、 1528 人とか。 弁論大会の出場者は、各機関の予選を勝ち抜いた 22 名。 ブハラからも 1 名の学生が参加し、私は質問員を担当しました。 リハーサル中の出場者   弁論のテーマは自由。制限時間は 5 分。 18 歳以上の日本語学習者が参加します。

春が来~た♪

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土曜日、朝10時ごろまで惰眠を貪っていたら、同僚から電話がありました。 「今からテレビに出てくれませんか?」 だって。 しかも 「11時までにテレビ局に来てください!」 って。 (テレビ局の場所も知らないし、11時までに行くのはムリ~!)と思い、口ごもっていたら、 「日曜日でもいいです」 ってことで。 日曜日、テレビのインタビューを受けることになりました。

それは、1枚のメモから始まった

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それは部屋の掃除をしていた時のことでした。 こんなメモを発見! 探し求めてた情報!!縫い子さん(お針子さん?)情報です。 私が今いる家に住んでた前の前の隊員さん(ってことは、3年以上前ってことだー)が残してってくれてたみたい。 ウズベキスタンでは街の至るところで、縫い子さんのお店を見かけます。だけど、上手なんだかどうかイマイチ分からない。同僚に腕の良い縫い子さんを紹介して欲しいって頼んでたのですが、とんと音沙汰なし。 ずいぶん前に、シルクの生地(「アトラス」と言います)は購入していたのです。ワンピース仕立てて欲しいなぁって思ってたのです。 で、念願叶って。

Hおさんに捧ぐ

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「ブログ、書いてないねー」ってお声をちらほらいただき。 「うん、そうだねー」て答えてたら、 おぉ、前回記事から1ヶ月・・・!またやってしまいました~。 私がブログを最も更新する時は、やること山積み(でも余裕はまだあり)の時です。 そして、あぁ、これはマズイぞ・・・って状況になると、ブログを書かなくなります。 で、今回は相変わらず目の前に色んなことが山積みなのですが、ちょこっと先の見通しがついたので、こうやって復活して参りました。 が、先の見通しより何よりね。伝えたいことがあって。 同期隊員のHおさんが3月19日に帰国します。 青年海外協力隊の任期は通常2年なのですが、彼は現職参加制度を利用しているので、他の人より3ヶ月早く帰国し、4月から日本の高校に復職するのです。 帰国前にブハラの日本センターにも講義をしに来てくれました。 ウズベク語で、日本地理と第二次世界大戦について。 同期の活動を見る機会って全然ないから、すごーく感動した。さすがの知識。 Hお、声がいい!ロシア語の通訳をしていた同僚も、 「彼はジャーナリストですか?」 って感心してました。 中でも第二次世界大戦の映像は、同僚も学生も初めて目にしたようで、インパクトも大きかったようです。 忙しい中ブハラまで来てくれて本当にありがとう。 Hおさんは、ウズベキスタンで一番有名な日本人と言っても過言ではないと思います。 Hおさんのウズベク語名、「ハムザ」 私も色んなところで耳にしました。顔が広い。友達が多い。さすがだなぁー。 これはタシケントでの活動報告会 彼の行動力、フットワークの軽さは、出不精の私からするとホント信じられません。 何より良きお兄ちゃんとして、みんなから好かれてて、私もHおの助言に何度救われたか分かりません。 送別会にて。モテ期到来してたよね・・・! なんか持ち上げ過ぎたかなぁ。でも、本当に感謝してます。 お見送り行けないのが心苦しいけれども・・・日本に帰っても絶対音信不通になったりしないでね。また皆で会いましょうね。再会を楽しみにしてます。