「日本語教育能力検定試験」ってなんなんだろうー

日本語教育能力検定試験(以下、検定)に合格しました。


合格すると思ってなかったので、びっくり!
自己採点の結果も、合格ラインには届いていなかったので、本当にぎりぎりすれすれの合格だったのだと思います。


ぎりぎり過ぎる合格だったので、偉そうなことは本当に言えないし、自分のなかでもまだ、もやもや~とした気持ちがあります。


そこで、と言ってはなんですが、検定ってなんだったんだろうーというのを振り返りつつ、今後にどう活かしていけるのかな、ということを考えてみようと思います。


あー、大風呂敷広げちゃった。たたむのが大変だ・・・!


*** 検定の目的って? ****
そもそも、検定の目的ってなんなんでしょうか。

社団法人日本語教育学会によると、「日本語教育能力検定試験」は、


~日本語教員となるために学習している者,日本語教員として教育に携わっている者等を対象として,その知識および能力が日本語教育の専門家として必要とされる基礎的水準に達しているかどうかを検定すること~


を目的としているそうです。来年、平成23年からは、


~日本語教員となるために学習している者、日本語教員として教育に携わっている者を対象として、日本語教育の実践につながる体系的な知識が基礎的な水準に達しているかどうか、状況に応じてそれらの知識を関連づけ多様な現場に対応する能力が基礎的な水準に達しているかどうかを検定すること~


を目的とするそうで、来年度からは「専門家」という言葉がなくなり、「実践」「体系的」「多様な現場に対応する能力」という文言が付け加えられました。でも、対象者は「日本語教員を目指している人、および現役日本語教員」で変わりはないですね。


**** 検定への想い ****
検定との出会いからちょっと語ります。初めて「日本語教育能力検定試験」の存在を知ったのは、昨年の9月、残暑の厳しい日でした・・・。日本語教師養成講座の420時間コースの入会申し込みをした時でした。

事務の方に検定の存在を教えてもらった時、「私は受けませんー。」と断言。

というのも、そもそも、私は「検定」と名のつくものが好きではないのです。漢検も英検も受けたことがありません。「検定合格」が第一目標になっているような気がして、抵抗感があったのです。今思うと、食わず嫌いならぬ、受けず嫌いでした。

今年、2010年6月に日本語教師養成講座の420時間のコースを修了して、周りの人も受けるし、せっかく勉強もしたんだから、受けてみるかー、勉強して無駄になることはないよね!という軽い気持ちで出願しました。

実際、周りの人が勉強している姿を見聞きすると、(こんないい加減な気持ちでいいのかなぁ。中途半端だなぁ。)と思うことが、多々ありました。

でも、今では、受かったから言うのではありませんが、検定を受けて良かったと思います。

検定を受けたことで、日本語教師として、自分の知識がいかに足りていないかを痛感することが出来たからです。


それに、単純に、知らないことを勉強するというのは、楽しくもありました。

検定を通じて、勉強仲間にも出会えました!みなさん、ありがとうございます!

と良いことをあげましたが、検定はもちろん、完璧なものではないと思います。マイナス面も検定の存在意義を考えてしまうこともあります。たとえば、時間もお金もとられるし、教えるのに直結しないことも勉強しなきゃいけない。

また、検定に合格していなくても素晴らしい先生はいらっしゃると思いますし、逆も然りだと思います。

だけど、検定を受けるか受けないか迷ってる方がもしいらっしゃるとしたら・・・私は、受けてみるのもいいもんですよー、って言いたいです。勉強は無駄にならない!


と書きながら、検定合格したからって、教えるのがすごく上手になるっていうわけじゃないし、ほんとうに大切なのは、これからなんだって自分に言い聞かせてます。

検定合格したのよ、ふふん♪ってならないためにも、検定合格が最終ゴールじゃないんだ、
という、自戒の念をこめて、この記事を書きました。

以上が検定に対する今の私の気持ちです。

さー、次にぎりぎりすれすれ合格体験記を書きます。

コメント